2022年3月23日 6 min read

今振り返るカザフスタンマイニング(2)~政治(ネット遮断)編

前回【2022/3/2 記事】に引き続き、カザフスタンのマイニング動向を深掘りして考察します。前回は電力不足などのエネルギーに注目しましたが、今回はマイニング規制やインターネット遮断など政策面での背景を考察します。

前回も少し触れていましたが、カザフスタンは周辺にロシアや中国といった大国が存在し、それらの影響を大きく受けています。他にもヨーロッパへの資源輸出など西側の石油メジャーなどにも関係を持っています。いわゆるバランス外交のようにそれぞれの国との友好関係を結びつつ、どれか一つだけの影響を受けないことで独立を保とうとするというように見えます。このような国は他にもあると思います。その中でもカザフスタンは非常に慎重にバランスを取ろうとするタイプのように見えます。一つの政策だけでロシア寄りだとか中国寄りだとかといった見方はできません。なので、時系列で何が起こったかをまとめていき、最終的に「インターネット遮断」という暴挙に出たのかを考えます。

初代大統領ナザルバエフと習近平

ソビエトの崩壊というのは、1990年から1991年にかけて少しずつ構成国家が独立していくことを言います。最初に独立したのはリトアニアでした。そして、最後に独立したのはカザフスタンです(1991年12月)。色々手続きもあったのかもしれませんが、最後というのはとても慎重な感じですね。その際、カザフスタン初代大統領に就任したのがヌルスルタン・ナザルバエフです。ナザルバエフ氏は、ソビエト共産党中央委員会の委員でもあった政治家で、ソ連の副大統領にもなる可能性もあったと言われるほどの実力者です。その後27年以上も大統領を務めていました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/カザフスタンの大統領

彼の下で、資源輸出を中心にカザフスタン経済は成長しました。独立直後の頃はロシアに配慮をしているようです。例えば、バイコヌール宇宙基地という施設がカザフスタン内にあります。宇宙飛行士や前澤友作氏などがISS(国際宇宙ステーション)に滞在するためにロケットが発射するところです。この基地は独立後もロシアが権利を持ち続けることになっていて、ナザルバエフ氏が許可しました。

2000年台中頃から中国の経済発展に伴って、政治的な影響も少しずつ増えてきているようです。2007年にカリム・マシモフ氏が首相就任しました。マシモフ氏はウイグル人で、武漢大学や北京語言大学に留学経験がある親中派などと言われることもあります。2011年3月には中欧班列と呼ばれる定期便が正式営業開始しました。2013年9月7日に習近平国家主席が、ナザルバエフ大学における演説で「シルクロード経済ベルト」構築を提案しました。中国としては一帯一路構想を実現するために中央アジアで大きな影響を持つカザフスタンは重要だと考えています。また、カザフスタンにとってもロシアによる影響とバランスをとりつつ、資源エネルギーに依存しない経済へ転換も目指していく上で、中国は重要です。さて、このような中国の影響を、ロシアはどう考えるでしょうか。プーチン大統領はウクライナに対するNATOの影響力を否定しますが、中国に対してはどうなのでしょうか。私見ですが、プーチン氏はカザフスタンの政治にロシアは影響を与え続けたいという意識が強くあると思います。

第2代トカエフ大統領とプーチン大統領

2019年にはナザルバエフ大統領は80歳になるのもあり、次世代の大統領への移行が行われました。2019年3月20日に2代目大統領にカシムジョマルト・トカエフ氏が就任しました。その後、トカエフ氏の側近とナザルバエフ氏の側近が対立しているとの報道があり、カザフスタン内の政治権力闘争があるとの指摘がありました。ナザルバエフ氏は大統領を辞任したものの、国家安全保障会議の終身議長であり、国家指導者としての憲法上の地位を維持していました。そういう意味ではトカエフ氏に権力が完全移行していたわけではありませんでした。

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