ビットコインは彗星の如く現れた革新的技術、サトシ・ナカモトという天才がゼロから生み出したシステムと思っている人は多いのではないでしょうか?
ビットコインにつながる技術を1970年代から列挙したAnsel Lindner 氏による “Bitcoin Prehistory”(ビットコイン前史)というタイムラインを見れば、そうでないことがよくわかります。以下、Lindner 氏がタイムラインに添えたメッセージです。
ビットコインは突然現れたわけでも、偶然の産物でもない。デジタルキャッシュの必要性を痛感した先人たちによる40年間の研究開発の賜物なのだ。
本コラムでは、ビットコイン誕生に寄与したサイファーパンクと彼らの偉業を Bitcoin Magazine が先週公開したAlex Gladstein 氏の寄稿記事 “The Quest for Digital Cash”(デジタルキャッシュを追い求めて)を基に振り返ります。
https://bitcoinmagazine.com/.../bitcoin-adam-back-and...
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サイファーパンクの誕生
サイファーパンクとは国家による権力濫用と国民監視を阻止するために、暗号技術の活用を推進するプライバシー保護活動家を指します。サトシがビットコイン・ホワイトペーパーを投稿した先がサイファーパンクのメーリングリストだったことから、ビットコインのルーツとも言えます。
ビットコイン開発者がよく “Cypherpunks write code” というミームを使うのもこのためで、黙々とコードを書いて政府が停止できないシステムを密かに構築することで、社会を平和的に変革したいというサイファーパンクの思いを表しています。
暗号は長年、軍や諜報機関が独占使用していました。それが一般企業や市民に開かれたきっかけは1970年代に開発された暗号技術です。
1976年、スタンフォード大学の研究員だったWhitfield Diffie 氏と Martin Hellman 氏は国家の検閲を回避してメッセージの送受信を可能にするディフィー・ヘルマン鍵共有プロトコルを考案しました。これに脅威を覚えたアメリカ政府は、彼らが登壇予定の学会参加者に会議への出席は違法行為に当たると警告するなどして技術の普及を妨害しようとします。サイファーパンクは論文のコピーを国中にばら撒くなどして抵抗し、最終的に政府が手を引く結果となりました。
翌1977年、Diffie 氏、Hellman 氏、Ralph Merkle 氏が共同で特許申請をしたのがビットコインにも使われる「公開鍵暗号」です。公開鍵暗号は PGP や Signal などメールやチャットアプリの基礎を築いた技術でもあります。