本コラムは2021/08/13付けコラムの続きです。
ペトロダラーシステムの陰り
ペトロダラーシステムは前述の問題を抱えつつも、最初の20年は冷戦時代だったこともあり、アメリカの覇権強化と世界の安定に寄与しました。アメリカは原油をはじめとするコモディティの最大輸入国でもあったので、コモディティ取引の決済をドルで行うことにそれほど違和感はありませんでした。
しかし、ソ連が崩壊し冷戦が終結した1990年代以降、ペトロダラーシステムの意義は急速に薄れます。覇権国として西側諸国を守るという大義が消え、アメリカの軍事力は明らかに過剰となり、追い討ちをかけるように、コモディティ最大輸入国の座も台頭する中国に明け渡しました。ペトロダラーシステム発足時には、35%あった世界の名目GDPに占めるアメリカの割合も20%台前半、購買力平価に基づくと15%まで低下しています。
世界経済におけるアメリカの存在感と影響力が下がったことは事実です。ただ、かといって、ドルの代わりに、世界の原油市場、国際貿易の決済通貨を務められるほど強大な経済力を誇る国がないのも、また事実です。
世界の多極化と経済力の分散化という潮流は誰の目にも明らかでしょう。こうした流れの中で、通貨制度にも分散化が求められるのは極めて自然です。
実はこれは既に始まっており、中国のロシアからの輸入品への支払いは、2018年にドルが激減、ユーロが激増し、2019年に逆転して以降、ユーロがドルを凌いでいます(文末上段チャート、出典: Bloomberg)。しかも、ロシアの主要輸出品といえば、ペトロダラーシステムの中核である原油を含むエネルギー資源とその他コモディティです。ヨーロッパも同様で、ロシアへの支払いは、6年前にはドル69%、ユーロ18%だったのが、今は44%ドル、43%ユーロです。インドもロシアからの軍事支援と引き換えに、ルーブルでの支払いを急増しました(文末中段チャート、出典: Bloomberg)。
しかし、時代が移り、状況が変わっても、国際準備通貨発行の特権を失いたくないアメリカは、ペトロダラーシステムを死守しようとします。
2000年、産油国イラクの当時の大統領サダム・フセインは、導入されたばかりのユーロで原油販売を開始します。ペトロダラーシステム発足以降、ドル以外の通貨での原油販売の最初の事例でしたが、結末はご存知の通りです。2003年、アメリカは大量破壊兵器保有を理由にイラクに侵攻し、フセインを権力の座から引きずり下ろします。イラクは即座に原油のドル販売を再開、そして後年、侵攻の大義は真実でなかったことが判明します。
アメリカのイラク侵攻理由に、ユーロでの原油販売があったかは不明です。ただ、世界には他にも多くの独裁者がいる中で、自国民4,500人を犠牲にし、2兆ドルもの資金を投じてまでフセイン政権を倒したかったのですから、余程の理由があったと推測できます。
(フセイン以降にドル以外の通貨での原油販売を試みたベネズエラのチャベス大統領、リビアのカダフィ大佐の末路や、核開発疑惑を理由としたイランへの執拗な制裁もペトロダラーと無関係ではないのでは?と勘繰らずにはいられません。)
ただ、いくらドル以外の通貨での国際決済比率を高めているからといって、大国である中国、ロシア、同盟国のヨーロッパに対して、アメリカはイラクのような武力行使はできません。そこで、今度は経済制裁、貿易障壁、政治的圧力に訴えます。
最近の例では、ロシアからヨーロッパに天然ガスを送るパイプライン、ノードストリーム2の建設に関わる事業者への経済制裁があります。パイプラインがアメリカの安全保障に重大な脅威をもたらすことを理由に挙げていますが、ロシアとヨーロッパ間のユーロでのガス取引が急増することと無関係ではないでしょう。
ペトロダラーシステムのほころびと中国の思惑
ペトロダラーシステムができた1970年代、アメリカの主要貿易相手国は中東とヨーロッパでした。1980年代に入ると、急速に経済力をつけた日本がアメリカの最大貿易相手国になります。前述のように、こうした国は対アメリカで膨らむ貿易黒字を米国債に投資してきました。2000年代に日本に取って代わった中国も先例に従います。
しかし、2013年、中国は米国債の継続購入は国益にかなわないとし、一帯一路構想を掲げ、実行に移します。アメリカとの貿易で得た巨額の利益を、米国債ではなく、アジア、アフリカ、南米、東欧のインフラ建設に投資し始めました(文末下段チャート、出典: Visual Capitalist は、中国が投資するインフラ建設案件の分布図)。