このところ、「仮想通貨」への興味が弱まってきていると感じる方も多いと思います。いったい、2017年ころの熱狂はどこへ消えてしまったのでしょう?
当記事では、この動きの背景を「選択肢のパラドックス」から考察してみつつ、ビットコインの生き残りに欠かせない考え方も述べてみたいと思います!
ほぼ消えた「仮想通貨」へのインタレスト
まず最初に、日本で「仮想通貨」がどの程度の興味を持たれてきたか、移り変わりを見ておきましょう。以下はGoogleトレンドで調べた結果となります。比較対象として、ビットコインも合わせて掲載しておきますね。
こうしてみると、仮想通貨もビットコインも、ともに右肩下がりの傾向となっていることがわかります。また「仮想通貨」の方がピークが大きかった分、下落の角度も急になっていますね。
このように下落が続いている理由にはいろいろな解釈が成り立つでしょう。当記事では、あえて「選択肢のパラドックス」という観点から考えてみることにします。
選択肢が増えるほど人はストレスを感じてしまう「選択肢のパラドックス」
私たちは、より多くの選択肢がある方が幸せであると考えることが多いです。自由の方が幸福なはずだし、その自由とは、より多くの選択肢があることで成り立っているからです。
もちろん筆者もその考えの一人でして、もともと行動が制約される会社員から自由になりたくて、自分の会社を運営するに至りました。
でも独立すると、会社勤めしていた時のように、月末に決まった給与が振り込まれるという保証は消えてなくなりました。
それからは、自分が行う決定が自分と家族の将来に直結してしまうという事実に、しばらくは不安を覚え続けていました。
選択肢が増えて不安になるって自分だけなのかな?と思ったりしたこともあるのですが、そこはリサーチしてくれている人がいるんですね。
2004年に出版されたバリー・シュワルツ氏の「選択のパラドックス "The Paradox of Choice"(2004年)」では、選択肢が増えることが、人々に不幸を感じさせる可能性があるという研究結果を出してくれています。
ここに書かれていることの一部は、選択肢が増えすぎたことで人々が仮想通貨への興味を失っていったことの説明にも当てはまるよう、筆者には映りました。
イメージとしては、こんな感じですね。
ではここからは、「選択肢のパラドックス」を4つのポイントに分けて説明してみますね。
仮想通貨の種類が増えすぎたことで人々が投資疲れを感じて離れていった4つの理由
まず一つ目は責任が「選ぶ側・投資家の側」に移されてしまうことです。
もちろん投資は自己責任なのですが、ここでは心理的な負担に焦点をあてています。
ビットコインしか世になければ、仮に投資して値段が0になったとしても、「やっぱ実体のないマネーなんてダメだったね」と、一般論で終えることができます。
投資した全額を無くした投資家も「面白さを買った」くらいで、心の中で整理することができますから、さほど心理的な負担もないのです。
ところが仮想通貨の種類が大量に増えたことで、あえて「そっちの仮想通貨A」を選択した責任を、選んだ側が心理的に負うようになってしまったのです。
選ぶ以上は何らかの分析を行ったうえで意思決定しているわけですから、より心理的な負担が大きいということですね。これが何度も続くと、分析麻痺(Analysis Paralysis)という状態になり、実際の行動に移すことができなくなってしまうのです。
これが仮想通貨に投資する人の数が減少した一つの原因だと筆者は考えており、また以下に述べる2つ目から4つ目の理由と結びついていきます。