2021年9月7日 3 min read

NFTについての美術界の視点

NFTについての美術界の視点
Photo by Steve Johnson / Unsplash

NFTの市場が好調です。

普通の小学生がNFTで儲けようと書き始めた絵が実際に4000ドルで売れていたり、昨日も、Testとだけ書いた絵が1000ドルを付けるなど、やはり異常とも思える状態がつづいています。

※FTXで販売された[test]の絵https://twitter.com/FTX_Official/status/1434753148317433858

NFTは、いわゆるアートであると一般には紹介されています。どうしてこんなデジタルの落書きに価値があるのかというのはみなさんも疑問に思う点だとおもいます。

アートとしての価値が今後生まれるのか?それとも単なるマネーゲームなのか?

今日は、そのあたりを書いてみたいとおもいます。

私(大石)は、実は現代美術を長らくコレクションしており、クリプトより長くやっており、業界内ではそれなりに有名になってきています。アートとクリプトの両方に精通した人間はあまり居ないとおもっております。

●NFTにアート性はあるのか?

いわゆる現代アートと呼ばれるものの中にも、へんな作品は多いです。ゴミにしか見えない作品や、子供の落書きみたいなのも多く、はたから見るとNFTの絵と変わりないかもしれません。

有名な現代アートの作品にデュシャンの「泉」というものがあります。これは、ただの便器を置いただけの作品です。これが発表された当時も、なんでただの便器がアートなのかと批判がおき、これを実例にして、ドット絵が高値で取引されているの今後はアートとして認められるかもしれないといっている人たちもいます。

https://ja.wikipedia.org/.../%E6%B3%89_(%E3%83%87%E3%83...

有名な美術家の村上隆も、「Andy Warholのシルクスクリーンもゴミ扱いされてたが、後でアートになったので、ゴミに見えるNFTもアートになる可能性を秘めてる」と言っておりNFT界からはよく引用されているようです。

しかしながら、私はそうなるとは思えません。というのも、アートが、アートとして成立するための最も大事な条件というのは、そこになんらかの美術的な文脈があるかどうかなのです。その美術的な文脈というのは、アートとしてのステートメントのことです。たとえば、「泉」においては、アートとして成立する最低限の要素は何かという問いかけがステートメントであり、そのために市販の便器というものを敢えてつかい、それを美術の公募展に出品するという行為をふくめて革命的なステートメントになったわけです。

ステートメントがあるかないか、これが美術と、イラストや工芸品などとを分ける境目です。

一方で、NFTにはそうしたステートメントがあるようには思えません。ですから、美術と呼べるかというと、あきらかに美術とは呼べないというのが結論だとおもいます。

ではなぜ村上はNFTを好意的に評価しているのかというと、おそらくは、いまのNFTは美術ではないが、美術作家がNFTをつかって美術のステートメントを構築する要素があるのではないか。つまり、あたらしい表現の手法として将来可能性があるのではないか?という意味だと理解しています。

これを、今のNFTに対して村上隆が評価をしていると読んでしまうと読み違いになります。

●NFTとしてのナラティブとコレクション性

では、いまのNFTは何なのでしょうか?考えてみると、別にアートではないが、コレクティブであるものは世の中に沢山存在します。たとえば、レアポケモンカードやスニーカーなんかはまさにそれです。ほかにも、おもちゃや、時計、万年筆、クラシックカーなど、アートではないがコレクションの対象となり、売買のマーケットがあって、実際に高値で取引が成立しているものは沢山あります。

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