日々の報道などで目にする莫大なカネの流れは、現実味がなくゲーム通貨のようだと感じる人もいるのではないでしょうか。
いくらスプレッドシートで数字が積みあがっても、もはやリアリティを感じられないのは、筆者だけではないと思います。
ならば現場を見に行くという選択肢も大切かもしれません。
今の通貨制度の前、日本では金本位制が採用されていました。その時代、もっとも大量の金を生み出していた現場とは、どのようなものだったのでしょう?
筆者はその足跡を見ることで、人間が財の確保に狂気じみた力を発揮できるということを感じることができました。
今回の記事では、日本が金本位制度から管理通貨制度に移行する期間中、最大の産金量を誇っていた鉱山の様子を、皆さんとシェアさせていただきたいと思います。
第2次世界大戦に向けて産金量はフルスロットル
まず最初に、日本がどのように金本位制と関わってきたかを軽く振り返っておきましょう。
日本の金本位制は1897年(明治30年)に始まり、第2次世界大戦の敗戦を経た1946年の新円切り替えで、その制度を完全に放棄することとなります。
この期間中、日本で最大の産金を行っていたのが「鯛生金山(たいおきんざん)」です。
※筆者は現地に行くまで「たいよう金山」だと思っていました。日本語は正しく使いたいですね。
さて以下は、日本のトップ産金鉱山と年間の推定産金量を年代ごとにまとめたものです。
1890年代:佐渡金山(新潟県)- 約300kg
1900年代:鯛生金山(大分県)- 約1,000kg
1910年代:鯛生金山(大分県)- 約1,200kg
1920年代:鯛生金山(大分県)- 約1,000kg
1930年代:鯛生金山(大分県)- 約800kg
最大の産金量は1938年(昭和13年)で 2,327トンとなっています。以下は現地に掲示してあったパネルです。
日本が第二次世界大戦へ本格的に参入したのは1941年(昭和16年)ですから、まさに戦争に向けてフルスロットルで金を採掘していたことが感じられます。
だだし、日本は1931年(昭和6年)には世界恐慌の影響で金の輸出を禁止し、金本位制も有名無実化されています。
それでも外部の世界は金本位制で動いていますから、どうにか世界と渡り合うために産金量の拡大を模索していたことがよくわかります。